Maske

ブランカ フレヴニャック

ナーダ ジーリャック
仮面
Nada Žiljak

 

NADA ŽILJAK rođena je u Zagrebu 1944. u slikarskoj obitelji. Završila je likovnu akademiju u Zagrebu 1967. i specijalku 1970. Slobodni je umjetnik. Radi u mnogim tehnikama: ulje na platnu i papiru, crteži, akvareli, pasteli, grafika; suha igla, bakropis, linorez.
O njenom radu objavljene su mnoge publikacije, monografija crteža 1995., monografija autora Đure Vanđure 1993. U tisku su monografije akvarela i bakropisa. Njeni radovi nalaze se u mnogim svjetskim muzejima i privatnim zbirkama. Izlagala je na tridesetak samostalnih izložbi: Hrvatska, Austrija, Mađarska, Egipat, Bosna i Hercegovina, Njemačka, Ukraina. (1997.)
http://www.ziljak.hr
http://www.gallery-hr.com

CIP - katalogizacija u publikaciji
nacionalna i sveučilišna knjižnica - Zagrab

UDK 75 Žiljak, N.

Žiljak, Nada
Nada Žiljak: Maske / Tekst Branka Hlevnjak, - Zagreb: FS, 2004.

ISBN 053 - 199-018-2
1. Hlevnjak Branka
I. Žiljak, Nada -- život i djelo
http://www.ziljak.hr
http://www.gallery-hr.com

 

 

ナーダ ジーリャック作品の彩色


二千年の初め(2001-2004)ナーダ ジーリャック絵画一連作「仮面」と「ア
トリエ」はナーダ ジーリャックが性愛を主題としたすばらしい彩色画家であることを
しめす。今日この分野はますます開拓されなくなった。

「仮面」一連作の中で芸術家は、自分を隠し事実上仮面をかぶった人のみは性愛の夢と
性的喜びの中では真実の姿を表すという考えに従って、仮面を隠れた人の心とみなしそ
れに心を注いだ。架空のカーニバルの期間を画布の上に計画し、画家の人格を捨てて、
画中の人物たちの高まる激情に任せた。真夜中酩酊し、興奮して彼らがする一瞬または
するであろうことは追跡するがすべては隠され秘密になるのを知っているので、画中の
人物たちの熱中はいよいよ高まる。芸術家は匿名の喜びを彼らに許す。言い換えれば仮
面をつけた個々は本当の人ではなく、偽の人物であり、一夜だけ許されることでこれが
仮面舞踏者たちの普通の現象である。それゆえ、絵の中で個々の男女の仮面舞踏者たち
は古代の衣装を着けて描かれ、ナーダ ジーリャックは事実上の出来事、色彩と絵画へ
の熱中、性愛の忘我と性的行為をつなぐカスケードを創造した。彼女は無尽蔵の主題の
源泉を発見した。それは彼女を異常に刺激して画面いっぱいの着色へと誘い、そこでは
色は支配的な役割を持つ

ナーダ ジーリャックの新しい一連作では、色彩は絵画空間と幻影的動きの担い手であ
る。絵画の上で我々の想像力で見る深さは,正確にはどれくらい深いかは一つの色彩の
中に新しく異なった色彩が見つかるまでは認識されない。我々が空を見る時、最初に色
鮮やかな表層を見ているうちに,雲の後ろや銀河の下に新しくもっと暗い華やかな群れ
の別の層を発見してその深さに驚くのと同様である。最初の燃え立つような色彩の暗い
層の下に、同一形状の画布の層を我々は突然発見する。芸術家は基本の主題と情緒的輪
郭を与えながら見る人の目を刺激し絵の中へ導くが、同時に合理的な構造支配を拒む。

同名の一連作(仮面)では仮面舞踏者たちの神秘と彼らの肉体が持つ性欲は、見る人に
移る。見る人は絵と接触することによって予想された欲望、明らかな楽しみ、場面への
小さな侵入、隠された懸念、時には仮面を脱いだ仮面舞踏者たちの興奮を分かち合う。


色彩の層、補足的な衝突のリズム、色調の輝き、壮麗で狂想的,主題は仮面舞踏会の夜
に支えられ、それらによって芸術家は目に見え感じるように空間を形作っていく。絵の
配列や構図は時として主題を圧倒して絵の枠から追い出し、枠内に残っているのは暖か
い夜の雰囲気、色使いのすばらしさ、魅惑的な神秘だけである。

よく知られた現代絵画の手法であるが、ナーダ ジーリャックは確かな開放的な印象を
促すためにところどころ絵の表面に空きを残す。彼女は画布に息を発散する空間を与え、
見る人に芸術家が画筆を振るう行為を感じさせ、構造の層を見せ、それ自身真実である
絵画の事実を強調する分析的な絵画の象徴まで達した。それゆえ芸術家は一般人の肉体
を興奮させ興味をそそる主題を用いて、この基本的、洗練された、アクリルペイントの
構造を見せる彩色を強化した。一般に溶け込み許容された好色、強い欲望、偽りなどの
隠れた願望であるエロチシズムは精神的範疇として絵画の上では開放され、展開される。

誰でも仮面をつけることによって日ごろの責務、規律,自己を取り去ったように見える。
仮面舞踏会での出来事、架空の人物たちの見せる愛の行為などすべては隠される。しか
し仮面舞踏者たちはいつも重要であるとは限らない。しばしば彼らは粉砕された配列の
中や背景の光の中、あるいは情景を照らす光の中にのみかすかに見える。これらの絵画
の現代性は目に喜びを与え、未完成を常とし、神秘を探求する知性と出会い創造を満た
すゆえに人の五感に喜びを与える。

生命の源としてのエロチシズム

「王女と蛙」は2001年作のパステル画で「仮面」一連作の最初の絵画である。これ
は2002年のFS・フォトソフト社のカレンダーになった。輝く黄色は緑色に対立す
る。暗く描かれた手は、透けたドレス着た黒い顔の女の胸をまさに触らんとしている。
それはエロチシズムそのものは潔白であるという芸術家の予告と象徴であり、御伽噺の
知恵の中に織り込まれていて人間教育の基礎をなすものである。芸術家の伝言は「人間
にとって仮面舞踏会とは何か。それは短期間の内に真の大人が子供のように別人になっ
て遊ぶことではないか。」という風に見える。変装して別人になりすますことは、自己
を開放し、日ごろ抑制した願望を満たすのを助ける。


 

芸術家は芸術の象徴の本質をよく知っていて、人間の髪を象徴として使い彼女自身と見
る人々を守る。同様に彼女の画中の仮面舞踏者たちを架空の仮面舞踏会の間に隠れた結
果と目覚めた性のために起こるであろう魔力や罪から守る。2001年作のパステル、
アクリル絵画「髪」では非常に長い髪の乙女が描かれている。乙女の足元にはこわばっ
た笑った表情の特徴のある硬い多彩な仮面がある。歯をむいてにっと笑った表情の仮面
をかぶった人の体験を想像できることは無上の喜びであるが、若くほっそりとした乙女
の性質とは反対である。彼女の豊かな波打つ長い黒髪は自分の美しさのすべてを隠すこ
とができる。まるでガウンのように彼女の背中を覆っていることは、すべての髪の持つ
気高さと力を象徴的に表す。なぜなら髪は爪のように、人間の肉体を離れても人間と密
着した関係に在る。東方文明でもキリスト文明でも、髪は徳の番人、人格の番人である。
(ジ・チェヴァリエールとエ・ゲールブラント共著:象徴辞典、ザグレブ、1987)

一連作の全く最初の絵画からこのように芸術の象徴に守られてナーダ ジーリャックは
いくつかのところで彼女の描いた仮面をかぶった男女たちのエロチックな肉体の歓喜の
中へ我々を導く。彼女の描いた作品の一部は2002,2003,2004年のカレンダ
ーとして出版された。それらの作品の展覧会はザグレブ、リエカ、オプゼン、ペチュフ、
スヴェティ イヴァナ ゼリナで開催された。



ゆるやかに主題に入る

絵画「接触」(60×30cm)では芸術家は3年にわたる絵画の一連作を開始した。
彼女を導く主題とともに絵画の中でエロチシズムを開放するために大きく力強く彩色の
冒険に没頭し始めた。「接触」はまだ導入部の絵画でその中ではわいせつを誇示する馬
鹿な仮面舞踏者たちが画家に事実上のエロチシズムに関与することを促す。仮面とその
手は、仮面をかぶらない女の(自画像特有の)乳房の先をまさに触れようとしている。
仮面とその手は同じ場所でも同じ時でもなく次元を異にする。絵の中の女は仮面舞踏会
に関与しないが明らかに触られた感じで当惑している。

芸術家はゆっくりと描かれた夜の出来事へと我々を誘う。2001年の絵画「ささや
き」は内部の明かりが強烈な緑色である。背景も顔も何もかも緑色である。この絵画の
中でぴったりした赤い衣装と赤っぽく体に張り付いた長いドレスはとても目立つ。二人
の女は最初の場面の「接触」のことを噂しているようにささやきあっている。赤と緑の
配合はまるで水も滴る黄緑の土台に燃え上がる火あるいは火花のようである。ほっそり
した人物が無防備に髪を乱しているのが明らかなように、色彩はもっとはっきり表現さ
れている。あるいは少なくとも人の五感にそんな感じを与える。

「接吻」(2001年作)は少し大きめのサイズの画布(75×55cm)であるが突
然熱狂した異なったリズムでもっと力強い彩色の新しい状況である。ナーダ ジーリャ
ックの写生や配列の絶妙な筆跡は有名であるが、今は新しい彩色の関係である。表面は
その重要性を獲得した。色彩は独立しているが全体的に見れば調和し従属している。緑
と薄紫が支配的な内部で鮮やかな赤い細部はすばらしい効果を上げている。これらの赤
い細部は仮面舞踏会の婦人の赤い頬や赤い顔の仮面である。絵の主題になった接吻は実
際には予感の接吻である。もし我々がスケッチや色彩のリズムや色彩関係をはっきり認識
できなかったら、赤いアクセントは予期された接触の熱烈な瞬間を予感させる。形の
要素に帰するのが絵画である。絵画は画家の新しい一連作を予告する。それは過去3年
間に起こったナーダ ジーリャックの円熟した彩色の新しい局面である。

アクリル画に挑戦

2001年作の「ダンスに招待」と「ゲーム」の両絵画は着色が壮麗である。息を呑む
ような青や緑のさまざまな微妙な差のある基盤は、前面にいるほっそりとして動きや身
振りがダイナミックな人物たちに向けた内部の架空の照明で輝いている。これらは神秘
で魅惑的な絵画である。絵の中で内容的には何も起こらないように見えるが、色彩は空
間や音や光景を作り出す。しかし見る人の目が絵を見て満足することを許さないが、見
る人が探したりさまよったり関与したり芸術家の配列の内部のリズムを受け入れ芸術家
が未知の目的に導いた絵画の音楽を再建することを強いる。同時にこのリズムは絵画的
にも主題的にも心地よく刺激的であり、窓から眺める光景のように全体の一部に予期し
ない小さな感動や分散した照明あるいは背後で何かが行われている暗示など普通でない
詳細な発見を差し出すので興奮させる。

「仮面」一連作では主題が全体を貫きさまざまな絵画の技法からなる。ナーダ ジーリ
ャックの豊かで独特な絵画作品の中でもっとも重要な新しさはここでアクリルペイント
を使用していることである。彼女自身指摘しているようにアクリルペイントは油絵の具
あるいは他のどんな技法と比べても全く異なっている。アクリルペイントは新鮮ですぐ
乾き色の混ぜ方を変えなければならないが、色鮮やかな効果を上げる。それゆえアクリ
ルペイントを使う絵画技法の新しい研究過程で画家は自分の方法を発見して絵画の配列
の必要に当てた。おそらく永久不変の主題「仮面」と「アトリエ」のエロチック性のた
めである。エロチック性は多くの文明に深く根ざしている、言い換えれば美術史におい
てもそうである。ナーダ ジーリャックは色彩のもつ純粋さと力強さを好み始めた。彼
女は表面に新しい動きを与え、それらをつなぎ、構成し、力強くてもっと大きな全体に
現すことによって新しい絵画詩に到達した。

刺激となったアレクサンドリア四重奏

豊かで甘美な雰囲気や夜闇に仮面をつけた恋人たちが隠れている過剰な甘さの絵画
「欲望」、あるいは気味悪い男の仮面と裸体の女の対照的な絵画「真夜中過ぎ」や「性
の渇望」や「放縦」などは、知的詩作品「アレクサンドリア四重奏」《ローレンス ド
ゥレル(インド1912年生まれ)作の連作小説(1957-60):エジプトのアレ
クサンドリアを舞台にした恋愛小説》からインスピレーションを得た。この4冊の本は
人生について詳細に語り、道徳を説かない彼の簡潔な描写は画家を奮い立たせた。アレ
クサンドリア上流仮面舞踏会での予想は、噂話や暴露や異常なことや犯罪行為などであ
ることがドゥレルによって書かれている。まさに叙述の数頁は彼女の心を動かし、個人
的実際の見聞のように空想と感情からできた情景を絵画に取り入れ描くことがナーダ
 ジーリャックの脳裏に突然閃いた。

ナーダ ジーリャックの「仮面」一連作とアレクサンドリア仮面舞踏会についてのドゥ
レルの記述をつなぐものは、全く蜘蛛の巣状の連結網、あるいは騒々しいチャンネルを
通して来た。それによって芸術家たちは個人的創作の材料として受け取った。この精神
的相互連結網に参与することはメソポタニアとエジプトの初期から起こり、コプト教と
ゾロアスター教神秘主義、二千年のキリスト教世界に続き人類に高潔な人間性を与える
ことに励んでいるように見える。この長い期間を通して普遍的な記号や概念となり、芸
術や遊牧民の助けを借りて絶え間なく広がっている。仮面を用いた文明の象徴的高揚は
ナーダ ジーリャックの絵画「仮面」の世界に構築された。

主題の魅力

ナーダ ジーリャックは力強い生命力とその力の維持や残存の必要からエロチシズムを
描く。女の裸体の提供は罪でもなければ悪でもなく売春斡旋行為でもない。女たちは自
発的に情熱を込めてドレスをちょっと持ち上げ仮面舞踏者たちに楽園の門を見せる。長
い鼻の道化師や黒い骸骨やターバンを巻いた緑の人物や馬鹿げた三角円錐形などの後ろ
は愛しい恋人だと信じながら生命の神秘な種を挿入して一つに融合する甘美な楽しみと
神の現前の灼熱の閃光に身をゆだねる。

よく知られた画家の筆跡が着色した画面にいかに隠れたり現れたりするか興味あること
であるが、ここでは新しく変わった役割を持ち、エロチックな磁力線の揺らぐ雰囲気や
ろうそくの揺らめきや電光や月光の輝きなどを創り出す。集まった色彩のそれぞれ差の
ある小さな部分は、最後の雰囲気や狂喜の表現や画面の構成に重要な役割を果たし現代
芸術の特徴を現している。ナーダ ジーリャックは新しい一連作で画面に長く静かな部
分を与えながら絵画空間の構造を強化した。短く断片的な着色のリズムの起こる内部は
描かれた作品とは独立している。絵のリズムは内部の感性や見る人々との交流を失いた
くない画家の知的理論と一致する。


2003年作絵画「緑の手袋」は表現力に富む方法で描かれている。着色した表面は厚
く闇と明かりの珍しいものである。闇の部分は紫と緑と黒。明るい部分は小さく黄と白
と橙と赤。絵の中で仮面をかぶった恋人たちのエロチックな雰囲気は色の対比や特に明
るさや暖かさの暗示で造られる。黄金分割の高さに位置する灼熱色の短い水平線は明る
く暖かい女体であり、一方暗い方は男性だという実際的な暗示である。したがって着色
の緊張と主題の緊張にもかかわらず体は色彩だけで形作る。ただ顔と表題の緑の手
袋は写生である。ナーダ ジーリャックはすばらしい写生家であるが、ここでは絵画的に全
くよく考えている。しかし同時にやわらかい色から劇的な色、暗い色から明るい色に及
ぶ驚くべき色彩のスケールは見る人々を魅惑する。芸術家自身題材から妙想を得て主題
を推し進めることに喜んで身を任せていると我々はあえて言える。

絵画「鳥の仮面舞踏会」はやわらかい紫色や桃色や緑色の夢のような対比で織られた新
しい絵画詩である。色彩はやわらかく花のようであるように主題も超自然で夢のようで
ある。女の仮面を脱いだ女体からメス鳥が現れた。我々はもちろん文学の中に似たよう
なこの面白い主題や象徴を見出すことができる。鳥は魂に深く源を発するゆえに鳥の象
徴は魂であり、一般には人間に対する神の慈悲など多くの意味がある。面白いことには
ここで芸術家は一般的な仮面を使って見る人々に意外な象徴をつかませ、知的な着色で
その上愛らしく仮面舞踏会の可能性も含んでいる。

容易に単純にナーダ ジーリャックが絵画の世界を構築することは、傑出した彼女の創
作力の一つである。「仮面」や「アトリエ」の一連作のみならず全体の作品を通して見
ると、芸術家は現実と夢や目に見えるものと予期しないものや物質的なものと精神的な
ものなどをたくみに融合して再び溶かす。彼女の絵画は豊かで多種にわたるのでそれら
が一つに溶け込んでグラフィックやパステルなどを含む絵画の大きなオーケストラになり、
彼女の絵画はいつも抽象と写実の境にあり、構造は非常に具体的であり、現代的
形成は全く独自な方法である。


2003年末から2004年の初めにかけて描かれた「仮面」一連作の中にナーダ ジ
ーリャックは仮面舞踏会の見物者を導入する。それは鳥や猫である。時には見物者は仮
面舞踏者たちよりも重要になる。絵画「詮索好きな鳥」は岩に立ち、その岩のそばに男
女の恋人がぴったりくっついて立っている。女は裸体で男は仮面舞踏者。男はうっとり
女を見つめている。鳥は男のかぶっている帽子のふちをくちばしでつかんで男に注意を
促す。事実男女が結合する刺激的な行為は鳥によって中和される。鳥は仮面舞踏者には
反するが、鳥の行為そのものは自然に反しない。この面白い主題に反することは画家の
人物たちの不道徳の正当性を物語る。画家は前面の重要な位置に鳥を置き、象徴的に鳥
を通して結局どの仮面が本当で何が自然であるかという偽善の問題を出す。

ナーダ ジーリャックの絵画「仮面」一連作は架空の人物や男女のカップルの肖像画で
ある。彼らの一人一人は異なる色調と異なる構造である。構造の中で色彩と色彩のリズ
ムは、見る人に仮面の後ろの人物がはっきりわかるように彼らの隠された道徳違反や真
の愛や同情や希望や複雑性や単純性などを明示する。仮面は人々であるので画家は彼ら
に決まった人格を与えるが皆それぞれ異なった性質である。


エロチックな雰囲気

個々の色彩の内部から発する明るさは絵画の雰囲気を作り、描かれた実際の男女の心理
状態をも可能にする。実際の人物と変人の心理状態を着色で表すのは時には大変難しい
ことである。2003年の絵画「黄色い敷物」における茶色っぽい青緑色あるいは絵画
「敷物の上で」における赤や茶や紫は複雑な関係や困難な決定や暗い考えなどを暗示す
る。夜の明るさは文字通りにはどこにも描かれないが、しかしそれも特別な色彩によっ
て予感できる。同時に色は我々にさまざまな方法で性の渇望や偽りや禁断の興奮などを
暗示する。

2004年の絵画「隠れた瞥見」では茶色っぽい薄紫色の色調の中の青色の部分は開か
れた空間の印象を与える。そこで恋人たちが一緒に横たわり抱きしめ合うのは問題であ
る。彼らは仮面舞踏会を抜け出してぜんぜん隠さずに性の欲望に身を任せたのだろうか。
誰かが彼らを見た、いやそれ以上に彼らを見つめている間恋人たちは大地に横たわり不
思議な官能の招きに身を任せようとしているのであろうか。なぞの人物が彼らの上に立
っている。画家は人物関係の限界を故意に印さないで表題で恋人たちが結合する見苦し
い一瞬を他人に見られたことを予告している。しかし芸術家は道徳的にしたがらない。
なぜなら絵画の最優先的なものは感情や気質や熱中であるから。一人は垂直に二人は横
たわっている力強い構造は予想されたエクスタシーの着色の雰囲気で調和している。前
述した関係に従って、性感覚は明るい色の裸体の女と彼女がぴったりすがりついている
相手の暗い体とそばで見ている観察者によって強化される。この雰囲気の中で観察者は
禁断の他人の快楽をみることによって明らかに自分の好奇心を満足させる孤独な姿を無
意識にさらしている。

いくつかの作品の中で芸術家は三角関係を描いた。それは二人は幸福で一人
は孤独な人間。エロチシズムを描きながら調和したリズムやアクセントのように孤独なテーマが現
れ、それは群れた着色の集団を粉砕し、絵画に色彩の均衡と理論的内容を与える。しか
しながら一人離れた人物は絵画の中でいつも悲しい運命だとは決まっていない。ある孤
独な仮面舞踏者はとても陽気に自己満足している。しかし彼らは仮面をかぶっているの
で、仮面の後ろの顔はどんなものであるかという論理的な疑問がある。道化師たちと彼
らの偽りの笑いは二次的疑問を起こす。

たとえば2004年の絵画「ダンス」の中で 孤独な仮面は背の低い太った紳士で彼自
身大変満足しているように見える。彼は仮面舞踏会を組織した当家の主人かもしれない
が、友人知人たちの酒色にふける一座からいま喜びを見出している。絵の劇的な効果は
悪魔の三角形の仮面とその首に抱きついている 金髪のほっそりとした乙女によって実
現されている。

我々が乙女のことを考えるとき、この三角形の仮面は孤独な仮面よりももっと心配であ
る。なぜならば人々が仮面をかぶるのは自分の隠した願望を潜在的に表しているように
見えるからである。したがって絵画「ダンス」の中で髪をきちんとポニーテールにした
金髪の乙女は悪魔の野獣の下には愛しい恋人が隠れていると知りながら、恐ろしい仮
面をまったく信頼に満ちて抱擁している。美女と野獣の物語ではないが、本当にエロチ
ックな御伽噺ではないか。象徴的には精神が肉体に勝ることを示す。象徴は肉体の反発
は克服され豊かな美の賜物によって報われることを表す。まさにそれがこの絵画で起こ
っている。ナーダ ジーリャックは 外観は単純で均衡の取れた絵画から発する豊かな
概念に我々を導く。


絵に描かれた狂想曲

ナーダ ジーリャックの「仮面」と「アトリエ」の一連作は明白な象徴や関連した象徴
に満ち溢れている。ほとんどの絵画に新しくて異なった展望が開かれ見て読むことを繰
り返すごとに第二、第三あるいは全く新しい隠れた計画の表示が現れる。絵画に象徴を
用いることは尽きない性感覚の源のようであり、壮麗な絵画の狂想曲のようで注意深い
観察者をひきつける。意識と潜在意識は誘発され既知の神話を絵画に取り入れても実存
主義の嫌味はない。それどころか楽しみと興奮を持って見る人々はこの無類の芸術的空
想の飛行に身を任せようとしている。

エロチシズムは暖かい色彩で描かれ、その色彩の深いところに沈んだ人の眼差しは不思
議な力でひきつけられる。この濃縮した絵画空間に動きや身振りやみだらな腕や指やむ
き出しの太ももや広げた体や誘惑する眼差しや柔らかい皮膚などの短いが正確な写生が
ある。ほっそりした人物たちの内面は、二三本の特徴ある線が彼らの官能性または純潔
性のすべてを現し、十分にそれとわかる。

絵画「猫のいる青い牧草地」はどこに芸術家はエロチックな構想をおいているのか見る
人を戸惑わせる。多分絵画の名称が牧草地を定め、濃淡の色調の中の青色は彼女の考え
を取り除き別種の合理性を要求する。浮かんで重みのない姿は男女の恋人たちを予告す
る。彼らは夢うつつの状態で空間に浮かんでいる。この空間のすばらしい着色は我々に
忘我や狂喜や愛の祝賀について考えることを促す。この浮かぶ姿はシャガールの新婚夫
婦とスラヴの童話を思い出させ芸術家の人間性肯定を証明する。


ナーダ ジーリャックの絵画は簡単な構造ではないので容易に理解できない。それどこ
ろか彼女の作品を見る楽しみは多くの小さな驚きや基本の主題に反する形成や着色の意
外性にある。そうであるからこの絵の背景の中にある二つの赤い形は危険であることを
予告しているようにみえる。絵の下の部分の着色の構造ははかなさを暗示している。猫
の右は誰かいる感じで人の存在を思わせる。絵画を長く見ていると最初の牧歌的情景は
消散しないが、その純潔さ又は少なくともその長い持続は疑問である。これは複雑な構
造で、土台のロマンチックなライトモチーフの上に完全にそろった多くの色調やリズム
や対照があり、それらが絵画の中で溶けて一つになって調和している。その調和をばら
ばらに崩壊させないで完全な官能の充満状態として見なければならない。

音楽に完全で内容の充実した作曲があるように、絵画でもナーダ ジーリャックの作品
には単純で暖かく親密でロマンチックな絵画構造がある。大サイズの絵画「猫のいる青
い牧草地」と小サイズの絵画「恋している仮面たち」とを比較すると内容も形式も構造
も異なっている。表題が予告するように色彩はピンク色のタッチを伴うさわやかな黄緑。
色彩は楽天的で有望である。これらは春と目覚めた自然の象徴で、恋する仮面たちの内
容にぴったりかなっている。画家はすばらしい着色で彼らを祝福し恋している状態を見
せるのに成功している。絵画に対する誠実な思いやりが芽生えるのは邪魔でも妨害でも
問題でもない。この絵は感動を相互に共有する純粋な着色の喜びである。絵画の喜びを
分かち合う一般公開の招待状である。

アトリエ エロチシズムの冒険

際立った着色はナーダ ジーリャックの確かな円熟した動きとしてまず最初に新しい作
品「仮面」一連作に強烈に現れ、並行する絵画制作「アトリエ」の一連作の妙想を思い
つかせた。これは単なる偶然ではない。なぜなら芸術家のアトリエはいつもエロチシズ
ムの場であるから。裸体の美女たちと裸体の男性たちがいる場所は芸術家たちに肉体の
風景や山や谷や岡や湖や解剖や立体感や画法や人体の完全美を観察することを提供する
ところ。神の創造した人間の体は常に細心に研究し征服する価値ある謎とみなされてい
る。体、言い換えれば裸体は科学と創造を助長する。芸術家の表題とアトリエのモデル
は自然な連続でありエロチックな一連作にはほとんど必須の部分であるとナーダ ジー
リャックには思われたらしい。

2004年の絵画「アトリエの中で」は古典的な配置である。男性画家は画架の前でベ
レー帽をかぶっている。女性モデルはソファーの上で手足を伸ばして横たわり、彼女の
髪や目や唇を這っている画家の視線を楽しんでいる。画家の視線はモデルの首や胸をす
べりすべての細部を分析し照明の効果や柔らかい感触の肉体を具体的に表す色彩や髪を
描く画法やこの刺激的な目に見える冒険に重要性を与える形状などをどんなに追求して
いるか我々は想像できる。


ナーダ ジーリャックのエロチシズムの冒険は輪郭線から始まった。彼女は実にアトリ
エの画家と一体感を持ち裸体のモデル特有の緊張感を深く考える画家である。と同時に
彼女は裸体の魅力を発見し探求する画家である。単純なスケッチで象徴的に芸術家は手
足を伸ばしたモデルを形作る。一方モデルは芸術家の注視に挑戦する。

ナーダ ジーリャックは広々とした表面を特別な色彩で形作る。表面は方形から迷宮壁
に浅い色の吹き溜まりからぼやけた色の感じに変わる。そして架空のアトリエでポーズ
をとっているモデルたちは一般の象徴では緊張と興奮であり、人の五感を挑発し人の目
が彼らの体を触れるように誘う。

2004年の絵画「アトリエの中で」ではナーダ ジーリャックは穏やかな抑えた色彩
で暖かい画家のアトリエを描いている。画家とモデルの隔たりはかなり大きいが、彼ら
の関係は運命で決まる。画家とモデルは絵の中では小さく楽しく親密な雰囲気の中に包
まれているのは公開されるのを予想されている。


仮面とアトリエの動機をつなぎながらナーダ ジーリャックは仮面と芸術の好色性との
間に論理的な橋をかけた。芸術と仮面は普通のふりをしている。人生の勝負の法則を離
れた内部では人は皆人生の役割があり書かれたシナリオは社会の力で公認されるが、芸
術家たちと仮面舞踏者たちのみは日々一般人の仮面をかぶったこの世から排除される。
一般人の現実の別の顔は芸術家の注目を集め数年間も夢中にさせている。

現実に「仮面」と「アトリエ」一連作でナーダ ジーリャックが描いたものは生存の基
盤としてのエロチシズムである。そのために多くの作品に打ち込んだ。作品の中で
エロチシズムと絵画の関係は美しい陰影を見せ、両一連作に溶け込み刺激的な全体をな
している。


二元論と疑わしい偽善

「仮面」と「アトリエ」の一連作の中で色彩は絵に基本的な雰囲気を与える。黒い輪郭
線は絵の骨組みというよりはむしろスケッチとして目に付く。色彩は一瞬鋭く暖かく明
るく暗くなったりして色調とリズムの調和をつくる。スケッチは絵と主題を理解するた
めの担い手となり、色彩は震えや遂行や美を与える。スケッチは休息に必要な空間であ
り、調和した構造内の美しいメロディーであるようだ。

「仮面」と「アトリエ」の一連作の絵画はナーダ ジーリャックの他の絵画と同様に穏
やかな表面から色使いの際立ったアクセントに交代する創作上の個性が容易に見て取れ
る。色彩は筆使いや表面に明らかで、時には方形になったり濃くなったり薄くなったり
して表面を覆いつくすが、いつも特別な構成である。しかしそれぞれの形式上の構造は
芸術家の思想体系の土台を反映する。


2004年の絵画「青いソファー」二元論について象徴的に語る。支配的な青色に小さ
な効果的な黄色が織り込まれる。この黄色はソファーの上下に現れる。それによって空
間に浮かんでいる雰囲気が実現される。しかしながら絵の中の左の男女は背中合わせに
ぴったりくっついている。画家とモデルであろうか。目に見えない柱に縛られているよ
うだ。恥辱の柱であろうか。夫と妻であろうか。離れられない運命であろうか。一緒で
あるがいつも逆である。女性は陰(大地、受動、従順、暗さ、弱さ、女性の自然の本
質)であり、男性は陽(天、能動、堅固、強さ、明るさ、男性の自然の本質)である。
離れられない逆の象徴この正反対の本質が一緒になって人生が機能している。これがす
べてではない。彼らのそばのソファーに金髪の乙女が手足を伸ばしてポーズをとり魅惑
し待っている。色彩は性の渇望を強調し、控えめな火花によって浮つく考え、青い夢の
ような状態、孤独な人の自足を誘発する。色彩は勝利の栄光を見せるであろうか。

芸術家は我々にこの絵に多くの問題を課し、エロチックな反応の可能性を求めて知的緊
張と目に着色の楽しみをつくりだした。それらを決定する必要はない。ここでは誰でも
皆自分の解答を見つけることができる。なぜなら絵は本当に興味をそそるからである。


両一連作の多くの絵画の中でナーダ ジーリャックは画中の人物たちの配置や表現でい
ろいろな偽善を暴く。まるで女流作家ダレルのようである。ダレルは人々の多くの経験
や彼らの異なった考えを描くが決して批判しないように、ナーダ ジーリャックは円熟
した非常に個性的な人物の描き方と最小限の線の動きで大変生き生きとした明確な身振
りを創り出すことを知っている。絵画から絵画へ人物から人物へと見回すと、線のわず
かなゆがみや強さや緊張によって人物の捕らえがたさや利己主義や悪意や楽しみや肉体
の快楽や献身や憂鬱や熱心さやその他が読み取れる。しばしば画中の人物たちは絵文字
のようであるが画家の巧みなスケッチは人物たちの動きや感情をよく表している。彼ら
は多様の意味があり、しばしば実際の偽善に関する不変の疑問を持ち出す。

「仮面」一連作の絵画「黄色い夕暮れ」の中で三角形の構図の中に立っている人物は古
代ローマの双面神ヤヌスの役目をしている。仮面をかぶった人物は偽善の象徴としてよ
く知られている。つまり仲間たちとある夫婦が酒に酔っ払って床に伸びている時、仮面
をかぶって立っている人物はこの夫婦と話しているように見えるが仮面の後ろの顔はス
ケッチでは明らかに逆の方向を向いているのを示している。彼の眼差しは絵の中の漠然
とした遠方にもっと面白い話し相手で恋人になりそうな女性はいないかと探しているよ
うに見える

仮面舞踏会の間に起こる出来事はナーダ ジーリャックが描いたようにしばしば社会相
互関係の典型的なものである。人間はいろいろな側面から光を当てられ鋭くはっきりと
精神的に目覚めた目で描かれている。


「アトリエ」と「仮面」一連作の絵画によって芸術家は明るくリズミカルな緊張と絵画
の劇的な効果を実現させる。この劇的効果はエロチシズムに対する我々の保守的な態度
を熱したり冷やしたりし、社会関係の再考を促し、道徳と偽善を再調査することを叫ぶ。
我々をアトリエ エロチシズムの歴史へと向ける絵画の一つは2004年の絵画「接
触」である。絵の中の茶色っぽいピンクの色調の中に二人の人物が立っている。モデル
と画家である。女はひざまで裸になり体にひねりを与えて均衡をとった古代ギリシアの
ビーナスの古典的ポーズをとっている。彼女の頭は傾きボッチェリーのビーナスのよう
に愛らしく純真な表情をしている。男はほっそりした女とは違って幾分太っていてモデ
ルの方へ片腕を突き出している。男の黒い髪とひげそれに衣服は古代ローマの外衣を思
い出させ、話は一気に古代ギリシア彫刻を崇拝する古代ローマ人へと移る。絵画は実に
はがれた壁画のようである。彼女の着色の構図はタイムマシンの役割がある。古代の体
験を強調している。同時に芸術家は現代文化の揺籃と自身の芸術的エロチシズムを実体
化している。エロチシズムは疑いなく芸術家の最大関心事である。
象徴的な名称「接触」では客観的に絵の中では接触は存在しない。(なぜなら男は女の
方へ片腕を突き出しているだけで触っていない)その他の絵画でもそうであるがナーダ
ジーリャックは満たされない願望の驚くべき力に重きを置き、それを効果的に表現する
知的洞察力を持っている。熱望して満たされないエロチックな流れは、実現していない
画家とモデルの関係や画家と作品の関係を通して象徴的に描かれている。願望が満たさ
れるかどうかわからないがナーダ ジーリャック作品に描かれるエロチシズムは芸術の
原動力である。

絵画の性の楽しみ

主題の着色への浸透と主題のエロチックな力はこの作品集の特徴である。2004年の
絵画「赤い部屋」の中では画家は画架の前に立っているのが簡単に描かれている。画家
が何をしているか知るためには描かれた突き出した片腕に注目することが重要である。
床に裸のモデルは座っている。この単純に描かれた中に一連のことがすべて起こってい
る。それによって絵画のエロチシズムは実現される。青緑と赤の二つの支配的な色彩に
よって芸術家は対立関係を築く。画家のマントは青緑、その色は足を少し広げてポーズ
をとっている女の顔に反射している。それは彼女に不自然で興奮した印象を与える。そ
してまた彼女の眼差しと画家の身体をつないでいる。彼女の頭は彼の体の青緑色で描か
れている。他方モデルの肉体の楽しみを描くのに用いるピンク色はアトリエ全体にしみ
こんでいる。それゆえ空間には画架も画布も正確には識別されない。ただ一つ目に見え
る支えは椅子の背のスケッチのみである。部屋は芸術家が欲望を絵画の形で支配したい
という願望で燃えているが、同時に芸術家は内なる激情に任せ視覚の興奮により誘発さ
れたエロチックな流れを吸い込む。これは特別な芸術家のエロチシズムへの接近であ
る。そこではとても親密で最高に洗練されたエロチシズムとの一体化がなされる。これ
は古代エジプト時代から存在している。ナーダ ジーリャックはこのエロチシズムとの
一体化を類似の名称で何度も繰り返し強調している。

2004年のフォトソフト社のカレンダーに複製された絵画「赤いアトリエ」は補足的
な色彩の絵画で、その中で赤と緑の強烈な関係は画家のもろい画像とその異常な影やあ
るいは印された椅子や置かれた位置に意味を与え、エロチシズムを連想しやすい傾向の
人々にはエロチックなのは明らかである。彼らを魅惑するのは赤い色である。


ナーダ ジーリャックの新しい一連作の美は理性的なエロチックな考えと豊かな絵画の
構造からなる。これらの絵画は転移した写実主義と事実上の形と空想状態と具体的絵画
の構成からなり、条件的にのみ超写実主義とみなすことができる。

2003年の絵画「オシイェックにて」は現実の二重の動きで構成されている。絵の中
に椅子や絵の具や画架があるアトリエの部分が見える。室内の絵はぼやけている。絵の
中に描かれた絵は恋人たちの画像であろうか。あるいはアトリエ内の鏡に映った二人の
姿であろうか。アトリエ内ではっきりと官能的な女流画家が認められる。絵の中の(傑
出した自画像の)婦人はやわらかく抵抗している。もっと正確に言えば体と手をテーブ
ルでしっかり支え、目に見えないように彼女にすがりついている人物とともに接近しつ
つある絶頂予感の行為に協力している。

ナーダ ジーリャックは小さな動きの名人である。この一連作で描かれた人物たちは生
き生きと写実的である。わずかな着色とスケッチによって作られた力強い象徴は画中の
人物たちの意図を決定する。画家は色彩の奴隷でもないので赤はいつもエロチシズムの
象徴である必要はない。それどころか絵画「アトリエ9の中」では燃えるような春の緑
色でちょうどその部分に裸の人物が二人いる。ただわずかに示した女の腕の身振りは男
女の戯れの最中を暗示する。しかし色彩は目覚めた春と男女を永遠に続く生命の根本的
使命に駆り立てる愛を暗示する。

自然の中で恋人たちは網にかかった魚のように捕らえられている。この自然の力強い抱
擁の象徴的暗示は絵画「アトリエ4の中」でナーダ ジーリャックは描いている。二つ
のか弱い裸体は互いにアーチのように曲がって彼らの命を救うためにのたうっている魚
に似ている。彼らのそばに暗い熊の毛皮が置かれている。この毛皮は絵の中で重要な着
色の位置にあるゆえに敷物ではなく,太古の始まり穴居生活や自然の避難所や原始の力
強い象徴としておかれている。恋人たちは静かだ、彼らの隣の画架も静かだ。暗い毛皮
は二人の裸体と画架をちらっと見て自分の本来の姿から慈悲深く毛皮のように暖かい庇
護をせざるを得ないと思うのである。

「アトリエ」と「仮面」の一連作はすべてエロチックであるとは限らない。「仮面」一
連作の中には愉快な開放された仮面や人々の群れや通行人などの絵がある。「アトリ
エ」一連作には孤独な画家や友人と会話している画家もある。しかし全体を展望すると
画家の追及するエロチシズムの本質や構成要素や必須要素の答えは両一連作の絵画の中
に見つかるであろう。絵画の中で孤独にあるいは静かに裸体画の習作を見せているのは
自分の存在の証を必要と考えているからである。

アトリエの中の絵の前で一人で体を伸ばしてアーチ形に横たわっている自画像はまるで
自分の空想と相互接触を探しているように見える。ナーダ ジーリャックは知的欲望を
描く。インスピレーションの源と一体化するために精神的な必要から創造性を描く。こ
れがアトリエの中の孤独な絵画の理由である。アトリエの中は灰色や黒色が支配的で孤
独な人物たちが頭をたれ体を縮めているため不安であるが同時にエロチックでもある。
画中の人物たちは精神的インスピレーションのために芸術的肉欲、創造のために官能的
激情、形状を修得するために知的強欲、創作活動に没頭し作品を生み精神的に開放され
るために最後に到達する前の一瞬の予感の緊張などを表す。「アトリエ」一連作の中の
一続きの暗い絵画は創作芸術の沈滞を示す。これは新しい精神活動に必要な準備空白期
間に現れる。

結論に代えて

ナーダ ジーリャックは絵画「仮面」と 「アトリエ」の二つの重要な一連作を創作し
た。これらは2001年から2004年にかけて同時に描かれ彼女の豊かで実り深い作
品はさらに豪華になった。これらの主題を持った一連作はパステル、アクリル、それら
の組み合わせなどの様々な技法で製作された。両一連作は主題的要点と形状的要点に分
析される。多分芸術家にとって主題は最後の目標よりも励みになったのであろう。色彩
とスケッチを独創的で個性的に現代的手法で併用することはこれらの絵画全体を洗練さ
れて調和の取れたものにしている。ナーダ ジーリャックは現代抽象主義と超写実主義
の自由な伝統の中に彼女の世界である創作の空間を見つけた。

主題「仮面」と「アトリエ」一連作は新鮮で新しい。これはナーダ ジーリャックが無
限の力のある芸術家で深い感受性と絵画の明晰さを持つことを証明する。


ブランカ フレヴニャック

   
Samostalne izložbe

1981. Zagreb, Galerija INA, Slike
1982. Zagreb, Galerija Kamensko, Slike
Zagreb, Galerija Nikola Tesla, Slike
1983. Zagreb, Galerija Zagreb, Slike i crteži
1984. Zagreb, Galerija IKRO Mladost
Zagreb, Galerija, Konferencija za aktivnost
žena u društvenom razvoju, Slike i crteži
1988. Zagreb, Galerija Klub 42, Crteži
Zagreb, Galerija Trešnjevka, Slike
1990. Zaprešić, Knjižnica Ante Kovačić, Slike i crteži
1991. Zagreb, Galerija Kontempora, Slike
Zagreb Studio galerije Karas, Slike
1992. Bjelovar, Muzej grada Bjelovara, Slike i crteži
1993. Zagreb, Galerija Kontempora, Slike
1994. Križevci, Galerija Ars, Slike
Budapest, OTP Bank Galéria, Slike
Zagreb, Galerija Vugrin, Slike
Osijek, Galerija likovnih umjetnosti, Slike i crteži
Karlovac, Likovni salon Ljudevit Šestić, Crteži tušem i kistom
Sv. Ivan Zelina, Galerija Sv. Ivan Zelina, Slike i crteži
Đakovo, Dijecezanski muzej, Slike i crteži
1995. Gospić, Muzej Like Gospić, Slike i grafike
Zagreb, Galerija Duh, Obale pune tišine
Rasinja, Galerija Škatulka, Akvareli
Zagreb, Galerija Židovske općine, Na obali Galilejskog jezera
Otočac, Narodno sveučilište, Slike i grafike
Velika Gorica, Galerija Kordić, Na prostirci od neba i tla
Zagreb, Galerija Instituta Ruđer Bošković, Slike
Kairo, Muzej moderne egipatske umjetnosti
Graz, Flughafen, Die Farbe im Raume der Zeit
1996. Zagreb, Društvo Podravec, Vedrina jutra
Zagreb, Dom umjetnika Hrvatske, Akvareli
Asbach, Museum Kloster, Dvije generacije
u hrvatskom slikarstvu s A. Kinertom
Pakrac, Starogradska vijećnica, Pamćenje
Zagreb, Galerija Forum, Slike
Vinkovci, Gradski muzej, Albert Kinert i Nada Žiljak
Bihać, Galerija, Grafike
Sarajevo, Galerija, Grafike
Čazma, Zavičajni muzej, Crteži i akvareli
Novalja, Galerija Era, Slike i akvareli, Kao vjetar kao more
Rijeka, Muzej grada, Grafike (s Z. Pozaić i N. Arbanas)
Parz, Künstelerzentrum, Kontakte “Grenzelos” (s grupom 91)
1997. Starigrad, Galerija Jerolim, Crteži
Kijev, Nacionalni umjetnički muzej, Slike
Sv. Ivan Zelina, Galerija Sv. Ivan Zelina, V. Devidé - N. Žiljak “Haibuni”
Sv. Ivan Zelina, Galerija Sv. Ivan Zelina
V. Mc Master - N. Žiljak “Vezani za toranj”
Zaprešić, Galerija Razvid, Bakropisi
Sv. Ivan Zelina, Galerija Sv. Ivan Zelina, Tam čist pod strehom,Ilustracije
1998. Pečuh, Müvészetek Háza, Pasteli
Sv. Ivan Zelina, Galerija Sv. Ivan Zelina, Ljubavna režanja, Ilustracije
Gornja Stubica, Galerija dvorca Oršić, Pjesma o sjaju vode
1999. Piešt’any, Slovačka, Galerija MM
Zagreb, Galerija FER
Umag, Muzej grada Umaga
2000. Bratislava, Slovačka, Národné Osvetové Centrum
Zagreb, Francuska čitaonica, Ilustracije
Sv. Ivan Zelina, Nada Žiljak, Slike
2001. Zagreb, Izložba darovanih slika, K.B. «Sestre milosrdnice»
2002. Pečuh, Müvészetek Háza, Pasteli
Sv. I Zelina, galerija Sv. I. Zelina
2003. Opuzen, Likovni salon Opuzen
Zagreb, Galerija ARS hrvatske kulturne zaklade
Rijeka, galerija DAR
2004. Vinkovci, galerija Slavko Šohaj
Osor, Galerija grada Osora
Sv. I Zelina, galerija Sv. I. Zelina
Varaždinske toplice,
2005. Zagreb, Vatroslav Lisinski
Mostar, salon galerije Jelić
2006. Osijek, Vernissage 
Unešić, Župni dvor
   
NADA ŽILJAK
Rođena je u Zagrebu 1944. Završila je Akademiju likovnih umjetnosti u Zagrebu 1967.
i specijalku 1970. godine u klasi Alberta Kinerta. Slobodni je umjetnik. Radi u mnogim
tehnikama: ulje na platnu i papiru, crteži, akvareli, pasteli, grafika; suha igla, bakropis, linorez.
Svoje radove prikazala je na pedesetak samostalnih izložbi u Hrvatskoj, Austriji, Egiptu, Njemačkoj,
Mađarskoj, Grčkoj, Ukrajini.. Radovi joj se nalaze u svjetskim muzejima i privatnim zbirkama.
O njenim slikama, ilustracijama i crtežima objavljene su monografije iz pera Branke Hlevnjak i Đure Vanđure.
Prikazi i kritike sakupljeni su na stranicama: http://www.geocities.com/galzelina/
http://www.gallery-hr.com
http://www.ziljak.hr



ナーダ ジーリャック

画家でグラッフィクアーティスト。1944年ザグレブに生まれる。1967年ザグレブ美術
大学卒業。1970年アルベルト キネルトゥ教授に師事し専攻学科卒業。フリーラン
サー画家。画布に油彩、画紙に油彩、素描、水彩、パステル、グラフィックアート、
乾針、銅板、リノリウム版など多くの画風がある。クロアチア、ボスニア ヘルツェゴ
ヴィナ、オーストリア、エジプト、ドイツ、ハンガリー、ギリシア、ウクライナ、スロヴァキ
アの各国で70以上の個展が開かれ、作品はそこで展示された。彼女の作品は世界の
美術館や個人収集家が所蔵する。作品は画廊、病院、多くの友人に寄贈された。
ナーダジーリャックの絵画、挿絵、素描については、ペロ ブランカ フレヴニャック著作
、ジューロ ヴァンジュラ著作のモノグラフが出版された。批評や評論は以下のページに
収集されている。